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平田対談

社長×創業者

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創業者 平田 長市郎(右)と社長 平田 稔(左)が、今までを振り返りながら今後の展望や想いについて対談しました。

創業者平田 長市郎(右)

社長平田 稔(左)

創業のきっかけは?

心機一転、
銀行員から不動産業界へ。

創業者

銀行で8年ほど勤め、毎日数字に追われることに疲れて退職し、しばらくは祖父の家業(山の枝打ちなど)を手伝っていました。そのうち、祖父の親戚で不動産業をしながら、市議会議員をされている方の鞄持ちなどもはじめることに。その方が「これ勉強せんか?」と渡してくれたのが、『宅地建物取引士』の問題集でした。たまたま開いたページに「抵当権」などの話が載っていて、銀行員の経験からよく知る内容だったため、「試しにやってみるか」と軽い気持ちで試験に臨み、見事に落ちました。
そこから、これではダメだと、祖父の家業の取引先の息子さんと一緒に、舞鶴で宅建の講習会に参加するも、まんまと詐欺に引っかかってしまう。申込金も失い、これで落ちては本当にどうしようもないと、アルバイトの傍ら勉強に勤しみ、1980年12月、2回目でやっと合格をもらい、そのまますぐ開業の準備をして、1981年1月8日に平田不動産を創業することになります。

ついに創業開始!当時の事業内容とは?

アパートの有償管理で、
事業を軌道にのせる。

創業者

当時の不動産業者の仕事といえば売買が中心でしたから、開業当時はほとんど仕事がないわけです。それでも、どうにかしなければと考えていた矢先、ある駅のお店の壁に『火災保険・自動車保険等』の文字を見つけ、「これだ!」と思い、まずは保険の代理店を始めることになります。お店の入り口に『火災保険・自動車保険・傷害保険・不動産案件』など手作りのステッカーを貼り、まちなかで会う人には必ず挨拶をする。それで顔を覚えてもらい、契約に至らなくても来てくださった方の相談には、真摯に対応する。そうした地道な努力を重ね、徐々に地元の人々から信頼をいただいていきました。
やはり、不動産業というのは、情報をいかに早くキャッチしてそれをどう処理するか、いかに正確な情報を早くお客様にお知らせできるかが重要な商売です。当時は、お客様の相談に対して、より早くより良いご提案ができるようにと、さまざまな研修会や勉強会に参加し、たくさんの情報を収集して、必要としている人にこまめに発信するように心がけていました。そんな中、たまたま福岡県の三好不動産様(三好 勉会長)の講演を聞く機会がありました。その内容は「不動産管理は『有償』で行うべき。」というもので、当時ではとても画期的なアイデアでした。そのお話を聞き、私の中で「いずれ、そういう時代がやってくるだろう」と確信し、今後のビジネスの形がはっきりと見えた瞬間でしたね。

創業2年で法人化し、
21年後には今の新社屋へ移転。

基幹システムを導入、
事業の安定化を図る。

創業者

当時はバブル崩壊も乗り越え、アパート管理で会社も軌道に乗ってきていたので、全国住宅賃貸新聞に一面広告を出したり、大手の店舗づくりを自社に取り入れたりと、より良い会社を目指し、さまざまな改革を進めていました。中でも年に1回、東京や大阪で不動産フェアが開かれ、不動産関係に業者が集まって、勉強会や不動産の商品ソフトを販売する会があり、そこで色んな方々のお話をお聞きしました。先々のことをよく考えていらっしゃる色んな方々の声をお聞きし、色んなシステムの導入や商品開発など、よく参考にさせていただきました。『賃貸保証会社』や『ファームバンキング』などもその一例で、県外他社の良いところや仕組みをできるだけ吸収し、地元・小浜にあったカタチに活かすことで、平田不動産は小浜でのシェアを少しずつ拡大していきました。

創業25年。
現社長の新しい取り組みと、苦労したこと。

先を考えた事業の見直し。
会社を変える難しさ。

2006年3月には、アパートの管理戸数が1000戸を突破。

社長

そして同年6月に僕が入社して、父が売買、僕が賃貸というように役割を分担して、会社を進めていくことになります。着任してまずしたことは、空室対策でした。なぜ、この物件は半年以上だれも入らないのか、案内はあるのか、案内があって入居希望者が来ないのであれば、中身が悪いのか、とにかく答えは現場にあると思い、現場の物件周りからはじめました。そして、スタッフの前で、玄関に散らばったチラシや蜘蛛の巣の張り巡らされた写真を見せました。その時の寒々とした雰囲気は、今も覚えていますね。

そして、契約書の書式の見直し、付帯商品の開発、さまざまな単価の見直しを行なっていきます。
僕は、元々、県外の不動産会社に勤務していたので、そこと比較して、どうしてこの書式が必要なんだろう、本当は必要ないのであれば、これは変えていこうと常に考えていました。当時のスタッフからしたら、今までやってきた流れを、どうして変えなければいけないのかと思ったかもしれませんし、業者の方と衝突したこともあり、さまざまなところで摩擦を生んでいたかもしれません。でも、すべては平田不動産の『未来のビジョン』を構築するために必要なことだと思っていました。これから先、人口が減って、建物が増えて、空き家が増える、そして法律が変わって、単価は変わらないのに手間と仕事は増えるなか、この仕事に未来はあるのかと、危機感をもって本気で考えていました。今思えば、かなり無理もしていましたし、当時は何かを成し遂げたと言うよりも、一つ一つ漏れがないように様々なことを積み上げていたという感じですかね。

創業者

少し焦っていたかもしれないね。でも、今の平田不動産のカタチ(事業)は、社長の案でできたのがほとんどだからね。私から社長にああしろ、こうしろと言ったことはほとんどなくて、新しい取り組みは、すべて社長自らこうしたらどうかという案を持ってきていました。それを私は、「これは時期が早くないか」、「これはぜひやってほしいとか」、「社長はなんでそう思ったのか」などを聞きながら判断して、平田不動産をより良いカタチに変えてくれたと思います。

創業者から現社長へ、事業を継承。
コロナ禍でみえてきたもの。

時代にあった、
不動産業の役割を考える。

2018年10月1日、平田稔様が社長に就任されます。
社長を引き継ごうと思ったきっかけはなんですか?

創業者

きっかけというのがあるわけではないんです。やはり、私ひとりの経営者では基本的な考え方は変わらない。いつまでも同じ経営者でずっと頑張っていくのも、「どうかな」という思いがありましたしね。別の経営者に変わることで、新しい考え方や、やり方が見えてくると思い、3年程かけて権限を少しずつ譲渡し、社長に任せていくようにしていました。そして、ちょうどコロナ禍になる2年前に社長を引き継ぎました。このタイミングで交代できたのは、自分にとっても、平田不動産にとっても、良かったと思っています。

社長

コロナ禍で対面での接客もできなくなりましたし、スタッフのリモートワークを取り入れたことなど、やり方も大きく変わりましたね。コロナがいい例で、私たちの生活って、その時代、年代や周りの環境などで変化していきますよね。だから、マイホームを考えている人に、「こんな考え方がありますよ」と私たち不動産業者が別の方法を提案することで、必ずしも自分で家を建てなくてもいいのだと。借りることもできるし、途中で買うこともできるし。中古の空き家を買って再生することもできるし、それを子育てが終わったら、売って、違う場所に住むこともできるのだと。これからの不動産業者は、単に「家」を売るのではなく、これからは「暮らし」を売っていかなければいけない。そうすることで、お客様のお住まいのお手伝いをさせていただき、お客様に喜んでいただけたら、私たちも長くお付き合いをさせていただけると考えています。

従業員への思い。

情報は鮮度が命。
いちばんはお客様の
「よろこび」。

社長

スタッフにはいつも言っていることですが、不動産業は『情報』がすべてです。情報というのは、必要としている人に、必要なタイミングで届けないと腐ってしまうものです。だから、不動産業の仕事は『①すぐすること』、『②報告すること』、そして『③予定すること』、これをしっかりやっていかないといけない。それで、お客様に感謝していただけたら、スタッフ一人ひとりの幸せにもつながっていくし、平田不動産がお客様のお役立ちのためにやっている証になっていくと思います。そういう会社に、みんなで作り上げていきたい。そして、そこには色んな役割があっていい。専門家みたいな人もいれば、ルールを決めてそれができているかをチェックする人もいれば、間違いがないように作業する人がいたりと、お互いを助け合い、高め合いながら同じ方向を向いて進んでいきたいと思います。

創業者

そう、もっと簡単にいうと、『喜んでもらうことをする』ことが大切ですね。そのためには、スタッフの皆様一人ひとりにさらに勉強していただき、洞察力や表現力を磨いてもらう必要があります。緊張した時には、緊張した顔でお客様と接する。お客様が喜んでいるときは、同じように喜ぶ。そういうのを身につけてもらい、とにかく、お客様に喜んでもらうことをする。ダメな情報でもすぐ伝える。そうすることで、お客様に安心していただけます。そのために、社長が常日頃言っている3つのことを習慣づけて、人から感謝される経験を積んでもらいたいと思います。

社長

ほんとにその通りで、当たり前のことかもしれないけど、大切なことだと思います。「あの時、平田不動産に頼んでよかったな。」とお客様に思ってもらえるよう、一緒に頑張っていきたいなと思います。

平田不動産の今後について

地域の不動産業者として、
良き相談者であり続ける。

社長

不動産業というのは本当に仕事の幅が広くて、さまざまな問題が出てきます。その都度取り組んでいかないといけないので、その時々に悩みながらも、前に進んでいくわけです。変わりたくないかもしれないけど、変わらないといけないことは、やっぱりやっていかないといけないですしね。

創業者

新しいことがないと刺激もないからね。新しい考え方、新しい事業を取り入れて、常により良い方向へと変えていかないと新鮮さがなくなる。マンネリ化して、進歩がない会社になってしまう。だから、社長がやっていたことは、そのためのスタッフへの意識改革ですね。

不動産会社って地域も違うし、事業のやり方もばらばらなので、地元の不動産会社の考えがまちづくりに色濃く反映されるんです。例えば、土地を分譲して、道を作って、住宅を作って、広さがあって条件があえば公園を作る。それを市か県が認可して、地域のお客様に利用していただける。こう考えると、本当のまちづくりは行政が行うけど、まちの雰囲気や人を取り巻く環境づくりを担っているのは、やはり不動産会社なんですね。だから、平田不動産は地元のお客様がいつでも悩み事や相談を気軽にできる存在でありたい。自分たちの利益だけを考えてやっていたら、それは失敗すると思います。お客様と一緒に問題を解決していく、そういうような店舗づくりをしていけば、経営者が変わっても、永遠に残れると思います。

社長

僕も同じような思いがあって、『地域の人たちの良き相談者になる』というのが、ほんとに大事だと思うのです。ただ単に、一人の悩みを解決しても、俯瞰してその地域全体を見ると良くならない場合もあるので、それは気をつけなければいけないポイントです。例えば、空き家に住んでくれる人を増やしたいから、「どうぞ使ってください」と誰かれ構わず住んでいただいたら、地域から苦情が来ることもあります。それは、やはり、広い視野をもったご提案ができていないから。一人だけでなく、まち全体にとって、それが本当に良いご提案になるのかをよく考えることが必要です。そして、それは僕らのまちづくりへの責任でもあると思います。

創業者

そうだね。俯瞰してものをみることも大事なんだよね。そして、それは一人で判断できることはでないから、また難しい。だから、それをスタッフと一緒に違う目線でみていくことが大事だと思う。気づきがあるかもしれないからね。そして、私たち平田不動産だけで、すべてを解決できるわけではない。だから、良いことも良くないことも、お客様へしっかりとお伝えして、ご判断いただくことが必要です。そうした対応の積み重ねが、最後にはお客様の安心につながる。『きちんとお伝えする』ことも大事な我々の使命なんですね。

創業者

平田 長市郎

趣味:野鳥撮影
日課:ゴミ拾い

経歴:福井県小浜市生まれ。昭和46年京都の地銀へ入行。昭和54年退職し、小浜に戻る。バイト先で1冊の本が出会いとなり、※昭和56年不動産業開始。※昭和58年法人化。「不動産仲介・管理・保険代理」に注力し、お客様目線一筋。「当たり前を当たり前に」をひたすら実行。これができたのは、銀行勤務時代に「営業の本質」を教わったこと。※平成6年不動産コンサルティング技能登録。※平成24年、空き家が社会問題になることを実感、「いえぱと!」から「あかり家」のサービスをブランド化。地方では実現困難と考えられる定期借地権を利用し、土地活用の幅を広げる挑戦をしてきた。※2018年会長に就任。※2022年会長職を退任。現非常勤取締役に。同年、日本野鳥の会入会。

社長

平田 稔

趣味:日光浴
日課:早起き、整理整頓

経歴:1981年、福井県小浜市生まれ。地元の若狭高校卒業後、京都の美術学校でアートを学び、卒業後は石川県の不動産会社で3年修行。25歳で小浜に帰り、父が創業の平田不動産に入社。2019年からは代表取締役社長を務める。 「景色はみんなのもの」という発想から、市内に地元偉人の歴史看板を42箇所に設置。また、地元民のインタビュー「このまちこのひと」の活動を通して、小浜中学校の評議員を務める。2022年ニューヨークを視察。「LOCALが世界を変える」という着想を得、全資産の48%が不動産であるこの業界に、無限の可能性を感じている。共有資産の可能性を創出すべく、2023年「ふるさと投資」を開始。